6回にわたって、私の教育に対する考えを書いてきた。最終回は、この考えの限界について正直に書いておきたい。
自分の主張の弱点を隠して強い言葉だけを並べるのは誠実ではないと思う。どこまで通用するのか、どこから先は分からないのか。それを書くことが、この連載の締めくくりとしてふさわしいと考えた。
まず正直に言えば、この連載で書いてきたことは科学的理論ではない。自己決定理論(SDT)の実証研究を参照してはいるが、「SDTが示していること」と「私が経験から感じていること」には距離がある。組織レベルの主張の多くは、私個人の観察にすぎず、一般化できる実証データを持っていない。あくまで一人の経営者の考えであって、反証可能な科学的命題ではない。
そして、この考えには再現性がない。自律性支援の3条件を提供しても、内在化が起きるかどうかは本人次第だ。「必ず内発性に至らせる」方法は存在しないと思う。教育者にできるのは条件を整え続けることくらいで、結果を保証することはできない。すべての仕事を内発的にすることも現実的ではない。外発的な業務は同一化による内在化で対処するしかないのだろう。
さらに、この考えは万人に当てはまるものではない。内発性に向かいたい人の道を塞がない環境をつくれたらいい、というだけの話であって、外発的構造の中で働いている人に「それは本当の幸福ではない」と言いたいわけではない。押し付けないことが、自律性支援の根幹だと思っている。
こうした限界は自分でも感じている。ただ、私が一番悩んでいるのは、もっと根の深い問題だ。
一つ目は、教育者自身の動機の問題だ。
この連載で私は「教える側の動機が外発的であれば、その教育は構造的に外発性を再生産する」と書いた。では、教育者の動機はどう育てるのか。自律性支援のスキルを持たない教育者に、自律性支援を教えなければならない。しかし「教育者を教育する」とき、同じジレンマが繰り返される。自律性支援を外発的に教えること自体が矛盾になる。正直なところ、この問題にうまい答えを持っていない。
これは私自身の問題でもある。かつての私は、他者の評価で一喜一憂する生き方をしていた。営業の優劣を他者と比較し、勝てば誇り、負ければ自己肯定感を失った。他者の評価軸の中で生きていた。
経営者として従業員の成長のために何ができるかを考える中で、自分自身を見つめ直すことになった。他者の評価で喜んだり落ち込んだりすることの不毛さに、40歳を過ぎてようやく気づいた。遅かったと思う。内発性とは「ある・ない」の二値ではなく、自覚から言語化、言語化から行動化へと至る長い過程がある。数年から十数年かかることもあるのだろう。
今の私は「自己肯定感」という言葉をあまり使わなくなった。他者の評価は自分にはどうしようもない。よく評価されようが悪く評価されようが、それは他者の思考であり、自分には制御できない。自分が内発的に行動し学んでいることを、自分自身が知っている。今はそれで十分だと思えるようになった。ただ、これも私の現時点での感覚にすぎない。
だからこそ、こうして教育を語っている私自身の動機が本当に内発的なのかは、常に疑わしい。自分の考えを広めたいという承認欲求が潜んではいないか。この自問には終わりがない。教育者自身の動機の問題は、構造的に解消されないのだと思う。

二つ目は、「売れるもの=外発的」という構造的矛盾だ。
制度やシステムとして設計・販売できるものは、どうしても外発的動機付けに基づくものになりやすい。内発的動機付けは他者からの働きかけで得られるものではないから、商品にしにくい。「内発的動機付け」という言葉がこれだけ世の中で使われているのに、それに基づく制度やシステムがほとんど見当たらないのは、そういう構造があるからではないかと思う。売れるものは外発的になりがちで、外発的なものは内発性を壊しうる。この矛盾をうまく解決する方法を、私はまだ見つけられていない。
SDTに基づく自律性支援のスキルトレーニングですら、組織が制度として導入した時点で外発的構造の中に組み込まれてしまう。「内発性を壊さない方法を外発的に教える」という矛盾が、ここにもある。
これだけの限界がある中で、それでも私はこの考え方を手放せずにいる。
正しいかどうかは分からない。ただ、「壊さない」ことと「水辺に連れて行く」ことは続けていきたいと思っている。3条件を提供しても何も起きないかもしれない。水辺に連れて行っても、水が見えていないかもしれない。それでも次の機会にまた提示してみる。成果が見えなくても、それを失敗だとは思わないようにしている。
この連載で書いてきたことは、完成した教育論ではない。経験と価値観に基づく、一人の経営者の試行錯誤の記録にすぎない。もしこの考えに触れて何かを感じた人がいるなら、その感覚はあなた自身のものだ。私が与えたものではない。
内発的動機付けの発生と方向付けは、徹底的に本人の領域だと思う。この原則は、この文章を読んでいるあなたに対しても、同じように当てはまる。
連載「社員教育の常識を疑う」
- ① 「教える」をやめた日
- ② 「やりたい」は嘘をつく
- ③ 火を灯すな、火を守れ
- ④ 目標が人を壊す
- ⑤ 心理的安全性という矛盾
- ⑥ 馬を水辺に連れて行く
- ⑦ この理論は万能ではない(この記事)