・そんな小さな営業力もなさそうな会社が多重下請けに頼らずに仕事にありつけるの?
・そんなこと言って結局は他社に営業を委ねるんじゃないの?
・結局エンジニアの待遇が変わらなければ商流がどうでもあんまり関係ないよ。
そういったことを不安に思われる方も多いと思います。
よくわかります。
私は、2007年にメーカー・人材派遣業を経てIT業界にやってきました。受託による開発がメインの会社で、案件が減少した時のために派遣のノウハウが欲しいと言うことで、派遣会社での経験を認められての入社でした。実は私自身は受託や提案営業が希望だったのですが、IT業界に来てまず驚いたのが、まさに「派遣」にかかわるところの商習慣でした。
人材派遣会社では二重派遣は厳しく禁じられていました。ところが、IT業界のSESと呼ばれるものは派遣会社経験者から見れば、真っ黒な二重派遣。
契約書の名前こそ準委任契約と書いてありますが、実態は派遣です。二重三重、いや四重や五重派遣もめずらしくありませんでした。
私は人材派遣の経験あっての入社でしたので当然、社員の派遣先や、協力会社の開拓、派遣エンジニアの受け入れを求められました。
自社の受託案件に対して(商流に目を瞑りつつ)派遣エンジニアを受け入れることや、自社のエンジニアを将来受託の可能性がある客先に設計業務等のために派遣することにはそれなりに意義を見出していました。受託案件を受注したい一心で、その頃にたくさんの顧客を開拓しました。ですが、リーマンショックで所属していた会社が倒産し、状況は一変しました。
中小IT企業に迎えられた私は、商流を問わず社員の派遣先を探すことや、他社のエンジニアの営業を仲介することを求められました。IT人材ブローカーのような仕事でした。
IT業界の人材不足により、次々とエンジニアの情報が流れてきては、次々と案件が決まっていきます。契約を決めたい私は、とにかく急いでマッチングを行いました。半日も経過すれば大半のエンジニアに何らかの動きが出て、営業はクローズされます。そんな中で何とか面談にこぎつければ、協力会社のエンジニアと駅で待合せをして、ビルの入口で別の営業さんにつなぎます。いわゆる「引き渡し」と言うものです。エンジニアと顔を合わせるのは、10分にも満たない時間です。エンジニアの人となりは分かりません。どんなエンジニアを目指しているのか、どんな仕事をしたいのかも知りません。成約後にトラブルが起きれば客から情報が来て協力会社につなぎます。一人あたりのマージンは大きくないので、できるだけたくさんの仲介を行うべく活動を行わなければなりませんでした。
そんな中、あるエンジニアが業界を去りたいと言ってきました。理由は、「今まで参画してきた案件がことごとく事前に聞いていた情報と違う。また、これからも数ヶ月ごとに新しい案件に行かされ続けるであろうことに疲れてしまった。続けていく自信がない。」とのことでした。協力会社の社員であったその人の相談に乗ることも引き止めることもできず、私はただ自分の行ってきたことを後悔しました。
私は顧客から聞いた情報を協力会社に伝え、協力会社から聞いた情報を顧客に伝えていました。私の他に何人の営業、いくつの会社がその商流に連なっていたのかを正確に知ることはできませんが、その情報に誤りがあること、途中で変わってしまうことは、私ひとりが正確につたえるよう努力してみたところで、構造上完全に解決することはできません。
また別のエンジニアで、給料が安すぎて結婚することもできないと嘆いている人がいました。その人は新卒から8年、ずっと同じ現場で開発を続けているエンジニアでした。現場ではそれなりに評価されていたのですが、深い商流の影響で単価が低いままで、それが所属会社での評価につながり、ずっと新卒の頃と変わらない待遇でいました。私はその人の生活を考えて、他案件への異動を申し出ましたが、長期安定の現場で利益が上がり続ける状況を敢えて捨てる選択を良しとしない力により、却下されてしまいました。
結局、その人は所属会社を去ってしまいました。
その後、採用から営業まで自分の裁量を許される機会がありました。その時は、現在と同じように多重下請けに頼らない体制を築き、仲間にも恵まれ、年商5000万足らずの会社を4年間で6倍ほど成長させることができました。しかし、エンジニアへの還元を巡って経営者と対立し、十分な還元を行うことができませんでした。その時に仲間になってくれた人たちには、大変申し訳ないことをしたと思っています。