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社員教育の常識を疑う⑥ 馬を水辺に連れて行く

連載「社員教育の常識を疑う」(全7回)

第6回:馬を水辺に連れて行く

「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」

この英語の諺が、私の教育観をもっとも端的に表している。

前回までで、教育者の第一の役割は「壊さない」ことだと書いた。しかし壊さないだけでは十分ではない。仕事の領域に内発的動機付けが向いていない人は、壊されていなくても接続されていない。壊さないことは必要条件だが、十分条件ではない。

では第二の役割は何か。水辺に連れて行くことだ。

心理学には自己決定理論(SDT)という、数十年にわたる実証研究に裏付けられた理論がある。この理論が提唱する「自律性支援」こそが、「水辺に連れて行く」の具体的な中身だ。

自律性支援とは、放任でも統制でもない、能動的かつ非統制的な関与のことだ。ここが極めて重要なので強調したい。「好きにしろ」は放任であって、自律性支援ではない。

SDTの研究者たちは、外発的な活動の内在化を促進する3つの条件を実証した。

第一に、意義・根拠の提示。 なぜその活動が重要なのか、本人にとっての価値を説明する。ただし「教育者が重要だと思うこと」ではなく、「本人の文脈で意味がありうること」を提供する。ここを間違えると、価値観の押し付けになる。

第二に、否定的感情の受容。 不満、不安、興味のなさを否定せず受け止める。「そんなことを言うな」「やる気を出せ」ではなく、「そう感じるのはわかる」と受け止める。防御的にならず、傾聴する。

第三に、選択の明示。 やるかどうかは本人に委ねると明確に伝える。暗黙の期待や強制を排除する。「やってほしいけど、やらなくてもいい」ではなく、「やるかどうかはあなたが決めることだ」と伝える。

この3つがセットで提供されたとき、外発的な活動の内在化が起きやすい。1つでも欠けると、罪悪感ベースの「取り入れ」に留まりやすい。

ここで重要な区別がある。意義を伝えることは「教える」行為ではないのかという疑問が生じるだろう。答えは、第二と第三の条件とセットである限り、統制的な「教え」にはならない、ということだ。意味を押し付けるのではなく、情報として提供する。受け取るかどうかは本人の領域だ。外部から知識を得ることと、外部から動機を得ることは本質的に異なる。

私自身、過去の失敗を振り返ると、この3条件がすべて欠けていた。コミュニケーションの本を渡した時、なぜ読むことが本人にとって重要か説明していなかった。抵抗感を確認していなかった。本を渡すこと自体が暗黙の強制だった。もくもく会もMacの提供も同じだ。いずれも「リソースの提供」であって、自律性支援ではなかった。

自律性支援と放任の違いを整理しておきたい。自律性支援は関与度が高い。積極的に相手の視点を取り、なぜ重要かを丁寧に説明し、否定的感情を認め受容する。放任は関心が低い。構造が欠如し、感情に無関心だ。自律性支援とは、深い関心を持って相手と向き合いながら、決定権は本人に委ねるということだ。

放任・自律性支援・統制の違い — 放任は関心が低く構造が欠如、自律性支援は深い関心を持ちつつ決定権は本人に委ねる能動的関与、統制は圧力をかけ自律性を侵害する関わり方を示す図
放任・自律性支援・統制 — 深い関心と非統制的関与のバランスが鍵

もう一つ。構造を提供することと統制は違う。明確で一貫した指針を伝えること(構造)と、圧力をかけて自律性を侵害すること(統制)は別物だ。「ここを改善するとこうなる」という情報的フィードバックは構造であり、有能感を支援する。「できていない」という評価的フィードバックは統制であり、自律性を挫く。

馬を水辺に連れて行くことはできる。しかし飲むかどうかは馬の領域だ。水辺に立っていることすら認識しないかもしれない。それでも、次の機会にまた連れて行く。教育者の仕事は、繰り返し水辺に連れて行くことであり、飲むことを強制することではない。

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