あなたの周りに、趣味に驚くほど詳しい人はいないだろうか。
誰に頼まれたわけでもないのに、膨大な時間と労力をかけて知識を深め、技術を磨いている人。釣り、カメラ、ゲーム、料理、何でもいい。好きなことに没頭して、その分野では専門家顔負けの知見を持っている人が、あなたの周りにもきっといるはずだ。
あれが内発的動機付けだ。
純粋な知的好奇心。「やりたい」という感覚。誰に評価されなくても、報酬がなくても、自然と向かっていく力。この力は特別な人だけが持つものではない。趣味に没頭する人がいるという事実そのものが、内発的動機付けが誰にでもあることの証拠だ。
では、なぜ仕事になると、この力が消えるのか。
「仕事に対する内発的動機付けがない」のではない。かつてはあったものが、壊されているのだ。
プログラミングを例にとる。始めた時は純粋に楽しかった。しかし仕事になると、評価がつく。報酬と結びつく。納期がある。上司から「ここの書き方は普通こうだ」「なんでこんなことも知らないんだ」と否定される。現場特有のお作法に縛られる。純粋な興味で始めたものが、他者の基準で測られ、否定されることで、楽しさが失われていく。
心理学ではこれをアンダーマイニング効果と呼ぶ。内発的動機付けで行っていた活動に外発的報酬や評価を付与すると、もともとあった内発的動機付けが損なわれる現象だ。128の研究を対象としたメタ分析で、この効果は確認されている。
さらに厄介なことに、一度壊された内発性は容易には戻らない。イスラエルの保育園で行われた有名な実験がある。遅刻に罰金を導入したところ遅刻が増え、罰金を撤廃しても元の水準には戻らなかった。外発的な構造が一度入り込むと、内発性の回復は極めて困難になる。
外発的な構造に長期間置かれた人には、共通する状態が現れる。褒められないと動けない。叱られると萎縮するか反発する。指示がないと何をすればいいか分からない。やらない理由だけはもっともらしく述べられる。うまくいかないのは環境のせい、上司のせい、会社のせいだと考える。これは行動の起点が自分の中にない状態だ。他者の評価が行動の基準になっているから、自己決定の力が育たず、結果の責任も他者に向かう。
重要なのは、これが個人の資質ではないということだ。外発的な構造が長期間にわたって作り出した状態にすぎない。マズローの欲求階層で言えば、承認欲求の段階に留まり続けた結果、自己実現欲求に基づいて自分で動く力が育たなかったのだ。
「趣味で好きだったことを仕事にしたら楽しくなくなった」
この経験をした人は少なくないだろう。これは仕事に向いていなかったのではない。仕事の構造が、その人の内発性を壊したのだ。趣味の内発性と仕事の内発性は本質的に同じものだ。違うのは環境であり、仕事には評価・報酬・納期・上下関係という、内発性を壊す構造が満ちている。
この認識に立つと、教育の課題が根本的に変わる。
問題は「どうやって内発的動機付けを与えるか」ではない。「どうすれば壊さずに済むか」だ。
人はもともと火を持っている。教育者の仕事は、火を灯してやることではない。既にある火を守ることだ。
具体的に何が火を壊すのか。育成手段としての人為的評価。成長度合いやスキルアップを評価の対象にすること。育成手段としての目標設定。マイクロマネジメント。外発的報酬と結びついた成長の仕組み。これらは現代の企業教育・マネジメントの根幹をなすものばかりだ。MBO、KPI、OKR――いずれも外発的動機付けに基づく構造であり、内発性を壊す装置として機能しうる。
ただし、ここで誤解してほしくないことがある。外発的動機付けに基づく教育を全否定しているわけではない。
外発的動機付けに基づく教育には、即効性がある。人を一定のレベルまで確実に成長させることができる。新卒1年目の社員に業務の基本動作を教えるとき、安全基準や法令遵守を徹底させるとき、資格取得のための基礎訓練を行うとき――これらは外発的な構造で行うべき領域であり、内発性に委ねるべきではない。外発的教育がなければ組織は回らないし、人の命に関わる現場では必須だ。
人が外発的な動機から内発的な動機に至る道筋には段階がある。罰や報酬で動く段階、罪悪感で動く段階、価値を理解して動く段階、自己と一体化して動く段階。新人が最初から内発的であることを期待するのは現実的ではない。外発的な段階を経ることは、多くの場合避けられない。
問題は、外発的教育で得られる能力には天井があるということだ。内発的動機付けに基づく学びと比べると、到達点も持続性もはるかに劣る。さらに、その能力は教育を施した環境でのみ有効なことがある。その会社では有能だが、環境が変わると通用しない。本質的な能力ではなく、特定の構造に適応しただけの能力だ。
そして何より、外発的な段階に長く留まりすぎると、内発性への移行が困難になる。年齢が上がるほどその傾向は強まる。外発的構造の中でストレスを抱えながら仕事をしているベテランは、成果も上がらないし幸福度も低い。外発的段階での停滞は、取り返しがつかなくなるリスクを孕んでいる。
だからこそ、外発的な段階はできるだけ短くすべきだ。外発的教育が必要な時期は認めつつ、その期間を最短にとどめ、なるべく早く本人が価値を理解し、自分のものとして取り組める段階へ移行する。これが現実的なアプローチだと考えている。
一度壊された火は、容易には戻らない。だからこそ「壊さない」ことが何よりも優先される。外発的教育の役割を認めつつも、その構造が育成の領域にまで侵食し、内発性を踏みにじることがないよう注意を払う。この線引きが極めて重要だ。
教育者の第一の役割は「壊さない」こと。これが全ての出発点になる。
連載「社員教育の常識を疑う」
- ① 「教える」をやめた日
- ② 「やりたい」は嘘をつく
- ③ 火を灯すな、火を守れ(この記事)
- ④ 目標が人を壊す
- ⑤ 心理的安全性という矛盾
- ⑥ 馬を水辺に連れて行く
- ⑦ この理論は万能ではない


